歴史のよりみち

歴史のよりみち / 読みもの

現存12天守の一覧|国宝5城・重要文化財7城の所在地・指定日・建築年代

江戸時代までに建てられ今も残る天守は12城。国宝の松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城と重要文化財の7城について、所在地、国宝・重文の指定日、建築年代と構造を文化庁のデータベースで確かめて一覧にしました。

内容の確認日:2026-11-01

画像はイメージです

現存天守は12城、そのうち国宝は5城

江戸時代までに建てられた天守が、建物そのものとして今も残っている城は12あります。各城の公式サイトでは「現存12天守」と呼ばれています(松山城、松江城、丸亀城、丸岡城の公式サイトなど)。天守が国宝に指定されているのは、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、松江城(島根県松江市)の5城です。残る7城、弘前城(青森県弘前市)、丸岡城(福井県坂井市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)の天守は重要文化財です。

地域でみると、四国に4城(丸亀・松山・宇和島・高知)が集まり、愛媛県には松山城と宇和島城の2城があります。東北は弘前城の1城で、関東地方と九州・沖縄地方には現存天守がありません。下の表の指定日・年代・構造は、文化庁の「国指定文化財等データベース」で2026年11月1日に確かめたものです。

現存12天守の一覧|国宝・重要文化財の指定日

北から順に並べました。「最初の指定日」はデータベースの「重文指定年月日」の欄で、1950年の文化財保護法より前の日付は、当時の国宝保存法による国宝の指定日です。文化財保護法の附則第3条は、それまでの国宝の指定を重要文化財の指定とみなすと定めているため、データベースでは重要文化財の指定日として扱われています。

現存12天守の指定(文化庁「国指定文化財等データベース」より作成、2026年11月1日確認)
城所在地天守の指定国宝の指定日最初の指定日データベース上の名称
弘前城青森県弘前市重要文化財—1937年7月29日弘前城 天守
松本城長野県松本市国宝1952年3月29日1936年4月20日松本城天守(天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟)
丸岡城福井県坂井市重要文化財—1934年1月30日丸岡城天守
犬山城愛知県犬山市国宝1952年3月29日1935年5月13日犬山城天守
彦根城滋賀県彦根市国宝1952年3月29日1951年9月22日彦根城天守、附櫓及び多聞櫓(2棟)
姫路城兵庫県姫路市国宝1951年6月9日1931年1月19日姫路城大天守(ほかに小天守・渡櫓も国宝)
松江城島根県松江市国宝2015年7月8日1935年5月13日松江城天守
備中松山城岡山県高梁市重要文化財—1941年5月8日備中松山城 天守
丸亀城香川県丸亀市重要文化財—1943年6月9日丸亀城天守
松山城愛媛県松山市重要文化財—1935年5月13日松山城 天守
宇和島城愛媛県宇和島市重要文化財—1934年1月30日宇和島城天守
高知城高知県高知市重要文化財—1934年1月30日高知城 天守

12城のうち11城は、1931年から1943年にかけて国宝保存法による国宝になっています。彦根城だけは、データベースの最初の指定日が文化財保護法の施行後の1951年9月22日です。姫路城の国宝は大天守だけではなく、データベースの解説によると大天守を含む8棟が国宝です。

国宝5城はいつ国宝になったか

5城のうち、文化財保護法のもとで最初に国宝になったのは姫路城で、1951年6月9日です。翌1952年3月29日に松本城・犬山城・彦根城が国宝に指定されました。松本城の公式サイトは、天守群が1936年4月20日に国宝保存法により国宝に指定され、文化財保護法により1952年3月29日に「再び」天守5棟が国宝に指定されたと説明しています。丸岡城の公式サイトも、丸岡城天守は1934年に国宝(後の重要文化財)に指定され、1950年の文化財保護法でそれまでの国宝はすべて重要文化財になった、と書いています。

5城目の松江城天守は、2015年7月8日に国宝になりました。データベースの解説は、再発見された2枚の祈祷札から慶長16年(1611年)の完成が明らかになったと記しており、国宝の指定では祈祷札2枚、鎮宅祈祷札4枚、鎮物3点が附(つけたり)として天守と一緒に指定されています。

建てられた年代と構造|「四重五階」の読み方

データベースの「年代」と「構造及び形式等」の欄をそのまま並べました。「四重五階」のような表記は、外観の重の数と内部の階の数を示します。松江城天守の解説には「外観は四重、内部五階」とあります。五重の天守は松本城と姫路城の2城で、弘前城・備中松山城・丸亀城は、構造の欄では「櫓」と書かれています。

現存12天守の年代と構造(文化庁「国指定文化財等データベース」の記載)
城年代西暦構造及び形式等
弘前城文化71810三重三階櫓、銅瓦葺
松本城元和初頃1615頃五重六階、本瓦葺(天守)
丸岡城天正41576二重三階天守、石製本瓦葺
犬山城慶長61601三重四階、地下二階付、本瓦葺、南面及び西面附櫓
彦根城慶長111606天守 三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺
姫路城慶長131608五重六階、地下一階付、本瓦葺(大天守)
松江城慶長161611四重五階、地下一階付、本瓦葺、南面附櫓
備中松山城天和元〜31681〜1683二重二階櫓、本瓦葺
丸亀城寛永20〜万治31643〜1660三重三階櫓、本瓦葺
松山城文化〜安政1804〜1859三重三階天守、地下一階付、本瓦葺
宇和島城寛文4〜51664〜1665三重三階天守、本瓦葺
高知城延享41747四重五階天守、本瓦葺

建てられた年代は、資料によって違うことがあります。松本城は、データベースの「年代」の欄では元和初頃(1615年頃)ですが、同じデータベースの詳細解説は、現存の天守を文禄3年(1594年)から慶長4年(1599年)にかけての造営と推定しています。松本城の公式サイトは、大天守・乾小天守・渡櫓が文禄2〜3年(1593〜94年)にかけて築造されたというのが松本市の公式見解だとしています。犬山城は年代が慶長6年(1601年)ですが、解説によると、昭和40年の解体修理のときの調査で、初めに二層の櫓ができ、その上に望楼がのり、さらに大きな改造を経て今の姿になったことが明らかにされました。望楼を上げたのは元和6年(1620年)ごろと考えられています。

彦根城天守からは慶長11年(1606年)の墨書が見つかっており、解説は、創築にあたって大津城の天守を移したという説がだいたい認められるとしています。丸岡城は、データベースの年代では天正4年(1576年)で、解説は天守を築城時の建築と考えています。一方、坂井市は、平成27〜30年度(2015〜2018年度)に行った天守の総合学術調査で、年輪年代調査・放射性炭素年代調査・酸素同位体比年輪年代調査の結果と歴史的な背景から、現在の天守は寛永年間、初代丸岡藩主の本多成重の代に整備されたことがわかったとしています。調査の成果は、2019年3月に坂井市教育委員会の『丸岡城天守学術調査報告書』にまとめられています。丸岡城の公式サイトによると、天守は1948年の福井地震で石垣もろとも倒壊し、柱や梁など主要部分の70%以上を再利用して1955年に修復されました。

現存天守と復元天守の違い

現存天守は、江戸時代までに建てられた建物そのものが、修理を重ねながら残っているものです。これに対して文化庁の「史跡等における歴史的建造物の復元等に関する基準」(2020年4月17日、文化審議会文化財分科会決定)は、「歴史的建造物の復元」を、今は失われて原位置に存在しない歴史時代の建築物などを、遺跡(主として遺構)にもとづいて、当時の規模・構造・形式などにより遺跡の直上に再現する行為と定めています。

同じ基準は、これと区別して「復元的整備」も定めています。史跡等の利活用の観点などから、規模・材料・内部や外部の意匠・構造などの一部を変更して再現するものと、往時の建物の規模・材料・意匠・構造などの一部について、学術的な調査を尽くしても史資料が十分に揃わない場合に、多角的に検証して再現するものの二つです。復元の基準では、原則として同時代の材料・工法を踏襲することや、復元の根拠や経緯を報告書で公開し、その概要を建物の内部か周辺に掲出することが求められています。

丸岡城の公式サイトは、天守が今の12にまで減った経緯を次のように説明しています。安政2年までに存在した天守は65基で、明治6年(1873年)の廃城令による取り壊しや焼失で45基が失われました。その後、昭和初期に残っていた20基のうち8基が第二次世界大戦の空襲や失火で失われ、12基が残りました。同じページは、国内に現在ある多くの天守は、そのほとんどが昭和初期以降に再建されたものだとしています。

よくある疑問

Q. 国宝の城はいくつ? A. 天守が国宝に指定されている城は、松本城・犬山城・彦根城・姫路城・松江城の5つです(2026年11月1日確認)。現存12天守のほかの7城の天守は重要文化財です。

Q. いちばん古い天守は? A. 資料によって答えが変わるため、一つには決められません。文化庁のデータベースの「年代」の欄だけを並べると丸岡城天守の天正4年(1576年)がもっとも早くなりますが、坂井市の学術調査では、丸岡城の現在の天守は寛永年間に整備されたという結果が出ています。松本城や犬山城も資料によって年代の考え方が違うので、比べるときは、どの資料のどの年代かを確かめる必要があります。

Q. いちばん新しい天守は? A. データベースの年代では、弘前城天守の文化7年(1810年)と、松山城天守の文化〜安政(1804〜1859年)が江戸時代後期から末期にあたります。

参考資料

← 記事一覧へ戻る · 編集方針